2022年1月31日月曜日

デスゾーン、栗城史多のエベレスト劇場

やっと読み終わりました、デスゾーン、栗城史多のエベレスト劇場
北海道放送局の元ディレクターが書いた、暴露本+半分空想のような本ですね、死んでから人の事をあれこれ模索するのはあまり好きではないけど、栗城さんの講演会にも行ったことがあるし、出始めた頃から彼には興味があったので、読んでみました。


んー難しいなー、嘘と本音を持ち合わし、それほど登山の技術を持っていない青年が、TV放送やメディアに乗せられて、作り上げた役者だった!とも言えます
彼を死に追いやったのは、彼の性格とマスコミでもあり視聴者でもあったのかもしれないと考えてしまいました。

登山技術を持っていないと言うのは、本にも書いてあるけど、大学の先輩の山岳部の練習に参加した時、大学1年生が登れる壁を、栗城さんは登れなかったそうです、山の方も途中で降りてしまったそうです

しかし、マッキンリー、ダウラギリ(世界第7位高峰) 、ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂などの名山を登っているのは確かなので、この功績は讃えても良いと思います。単独無酸素とゆうのは本当だったのか?さだかではないですが、何故かエベレストだけは登れませんでした、1度目、2度目,3度目ぐらいまでは撮影や演出だけでなく、本気で登ろうと考えていたんだと思います、だから冒険の共有にもリアルがあり、ヤフーもライブ撮影に協力したし、スポンサーも沢山ついたし、大勢の人々に応援もされていた、

どんどんとスポンサーも仲間も離れていき、山の先輩で師匠も裏切る、その性格があだとなり、最後は、、、


彼が注目をされたのは、それほど登山技術を持っていない、普通の青年でがマッキンリーに登ってしまい、こうゆう人でも登れるんだ!とゆう気持ちにさせたことだと思います
そこから、自撮りで山に登る姿が面白いとTVに取り上げられて、ニートの登山家として注目されたんだと思います

山の先輩でトレーニングの手伝いをしてきた花谷さんに「次でエベレストは最後にしろ、ノーマルルートで登れ、単独無酸素でも凄い事だ!それで最後にしろ」と厳しめに言ったそうです。それでも栗城氏は「へへへ」と笑うだけだったそうです。
最後は1番難しい最難関の南西壁に向かってしまいました。
最後は登れなくても良いとゆう気持ちで登ったそうですね、撮影が命だったようです、
撤退を決めた後、待機せずに、暗闇の中降りたため滑落をしてしまいました。

普通は1泊して明るくなったから、降りるか、シェルパにむかえに来てもらうようだけど、それをしなかったのが不可解と言われているようですね。


栗城ギャラリー、栗城史多は誰!に展示してあったものです

下の動画ではスタッフの人が困っているのが解ります


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